気まぐれ日記 2014年4月

2014年3月はここ


4月1日(火)「人生の価値・・・の風さん」
 無職初日は快晴である。
 昨夜はフランス料理にシャンパンとワインで酩酊して帰宅したので、就寝が遅くなった。
 それで、今朝は寝坊したのだが、ワイフが京都行きは中止かと思ったらしい。
 どうせ車で行くんだし、今日はウィークデー(まだ春休み中の学生もいるようだが)だし、第一、京都はそんなに遠くないので、行くよ、と言ったら喜んでいた。
 上賀茂神社の桜を見ることと、長男を慰問するのが目的である。
 今日を逃すと、一気に来週になってしまう。
 夕食は長男とどこかで外食するので、キャメロンではなく、ワイフのアクアで出発した。
 いちおう睡眠が十分だと運転も余裕がある。
 近江神宮に行くとき何度も寄った大津サービスエリアまで一気にたどり着いた。
 工事中だったが、完成が間近らしい。ショップは新東名のサービスエリアのようにきれいになっていた。
 ここでのんびり過ごした。3階の展望デッキから眺める琵琶湖は雄大だった。時間を独り占めにしたようなゆったり感があった。社会人になって34年間、こんな気持ちは一度も味わったことがなかったような気がする。それだけ自分は会社人間だったのだろう(私生活でも作家としての仕事に追われていたから)。多くの先輩たちが早死にしているのも、こういったことが原因だったのではないか。
 京都東インターで降りて、市内へ入った。
 目指すは上賀茂神社のパーキング。長男のアパートもそこからはそれほど遠くない。
 上賀茂神社は空いていた。
 ほとんど雲一つない青空をバックにした満開の桜は美しかった。
 孝明天皇が植えたという御所桜(枝垂桜)は、幹は老木だが、花に容色の衰えは感じられない。
 桜が日本人の心に伝えている尊いものを感じることができた。
 入口の売店で一服してからバスで二条城へ行ってみることにした。
 しかし、着いてみると、もう入場できない時間帯になっていた。とぼとぼと徒歩で北上し、晴明神社を覗いてみた。いまいちインパクトがない。
 バスで戻って、長男のアパートへ向かった。もうすっかり暗くなってきた。
 長男を乗せて、何度か行っている市内の大衆レストランへ入り、ステーキを注文した。私は長男の半分のサイズにした。すると長男が、「長い間、お疲れ様でした」とねぎらいの言葉をかけてくれた。ありがとう、あっという間だったよ、と返しながら、こんな気の利いたセリフを言ってきたのは、おそらく長女のリーダーシップに違いないと思った(笑)。
 長男をアパートまで送ってから、家路についた。
 帰りも道路は比較的空いていて、午前零時になる前に帰宅できた。
 すると、食堂のテーブルに、次女からオリジナルのペコの絵を入れた額とフラワーアレンジメントが置いてあった。
 思ってもみなかった3人の子供らからのねぎらいに、やはり人生というのは、子供を育てることが最も価値があるのだと再認識できた。
 残りの人生も精一杯生きるだろうが、子供たちのためになればいいと思う。

4月2日(水)「備忘録的価値・・・の風さん」
 毎年花粉症で苦しんでいる。基本的に1年を通して発症の危険と隣り合わせだが、特にこの時期は危ない。
 マスクが予防や症状軽減に効果があることが分かっているので、インフルエンザが流行しているころから、マスクを持ち歩いている。
 ところが今週は、そのマスクだけではどうにも予防できなくなってきて、今日で3日連続、鼻炎用カプセルを服用している。飲んでも目覚ましい効果が出ないのは、やはり花粉の飛散量がピークになっているからだろう。
 のんびり旅行だったが、それでも京都へ行ってきたわけなので、今日は何となく疲労感がある。
 早くトレーニングを再開したいが、たまっている仕事が多過ぎて、精神的に余裕がない。
 そもそも、この気まぐれ日記すら、リアルタイムと記録・公開の時間差は1週間以上ある。
 それでも、最終的には記録が埋められていくわけで、ニュース的価値はないが、備忘録的価値は多少あるだろう。
 夜、無職になってからの家計の考え方について、初めてワイフと相談した。これまでの私からの丸投げ的家計から、私がきちんと責任を持つやり方に変更することで、ワイフの合意を得た。結婚して31年目にしてようやく愁眉を開いたといった反応だった。
 一般的に妻にとって家事と家計は重荷なのだ。第三の人生では、しっかり分担したい。

4月3日(木)「慌ただしい1日・・・の風さん」
 昨日に続いて今日も晴天で、珍しくワイフから外出を誘われた。
 南知多町で、国道からいきなり脇道へ入り、すれ違いが難しいような坂道をのぼったところにある小さな公園だった。桜が満開で、海原が見渡せる、眺望も素晴らしいところだった。
 越してきて1年目にずいぶん、秘境も含めて(笑)探検したが、ここは来たことがなかった。平日なのに、けっこう人が訪れている。私が持参の双眼鏡で周囲を眺めていると、同じように双眼鏡で眺めながら奥さんに解説している人がいた。その人も近所に住んでいるらしく普段着である。ついでに、その人も私も年をとっているのが共通点だ。
 昨日友だちに教えてもらったばかりのワイフは得意げである。小さなお宮にお参りした後、ベンチに座って持参のおにぎりを食べた。まるで映画かドラマの1シーンだな。
 その後、知多半島を1周して帰宅した。
 それから私はすぐまた出かけた。途中で郵便局や銀行に寄って研修所に出社した。
 まだ残務があるのだ。
 悲しいことにネームプレート(ICチップ内蔵)で認証エラーとなり、オフィス内に入れず、中からドアを開けてもらった。
 苦笑している同僚(元同僚と書くのが正確ではあるが)を尻目に、パソコンを立ち上げて、最後のメールチェックをした。念のためデータベースにアクセスしようとしたら「権限がありません」と拒否された。
 もう時間がないので、情報担当に自分のパソコンの完全シャットダウンを頼み、急いで退社した。
 帰宅してすぐ、今度は電車で名古屋へ向かった。夕方から天気が崩れるという予報だったので、傘を持って出た。
 ビジネススクールの仲間が、栄転になるので、その壮行会に出席した。実にたくさんの仲間が集まった。私から見れば皆息子か娘みたいな年齢だが、誘ってもらえるのはうれしい限りである。会社なら、部下だったり後輩だったりするわけで、彼らのためにあらゆる知識やノウハウやコネを伝承しなければならない。やれることなら何でもやってあげたい気持ちが強いのだが、恐ろしいことに、彼らの方が、私よりも知識も度胸もある。そして、悲しいことに、私の経験やノウハウはほとんど時代遅れみたいだ。
 雨が降り出した名古屋の街を駅まで歩いて家路についた。
 少し酔い過ぎたか。

4月4日(金)「初校ゲラの校正に着手・・・の風さん」
 5月GW明けにJMAから『工場長の教材』という3冊セットの教科書が出版される。
 その原稿を、昨年来急ピッチで6人で分担執筆してきた。
 私が担当したのは、全体の2割弱にあたる第3章ものづくりの見方・考え方である。内容は具体的で詳細なものではなく、基本的で概要であり姿勢のようなものだが、34年間の生産技術開発の経験と学位取得のために勉強したこと、そしてビジネススクールで学んだことのエッセンスを注入した。
 初校ゲラができたのは先週で、今日から真剣にその校正に着手した。
 合間に気分転換で、未整理の名刺をスキャナーで読み込んでPCソフトに格納した。
 午後から雨になり、留守をしていた私はワイフからの電話指示で、急いで干していた洗濯物を取り込んだ。

4月5日(土)「うれしい知らせ・・・の風さん」
 身辺整理を終えて退社したが、引きずっているものもある。途中だった仕事は特に気になる。
 秋田の国際教養大学とは個人的につながりを確保しておきたい。これは京都の国際日本文化研究センターと似た動機なのだが、和算を世界へ発信するための窓としての可能性を感じるからだ。自分自身のモチベーションや研鑽を続ける中で、いざというときに強力なサポートになるような気がする。
 その後、国際教養大学の先生とメール交換しながら、関係を維持している。
 今日は日中忙しくて郵便受けの中をチェックしていなかった。
 それで、うれしい郵便物が届いていることに気が付くのが遅れた。
 今年も、新鷹会アンソロジーが出版され、私の天文暦学関連の短編の収録準備が進んでいたのである。
 何とか頑張って、今年は天文暦学関連3作品を上梓させたいと思っていたが、その第一弾がアンソロジーになるのである。出版は今年も6月になる。
 あと2作品は、評論と文庫である。頑張らねばならない。

4月6日(日)「初校ゲラの校正が大ピンチ・・・の風さん」
 テキストの初校ゲラの校正が、いよいよ大ピンチになってきた。
 原因は図表の誤算である。プロのイラストレータに期待していた絵は、半分くらい不採用にせざるを得なかった。私の原稿が難し過ぎるのである。漫画チックな絵は不似合だった。それから、私がネットなどからそのまま持ってきたものを描き直してもらいたかったのだが、元がやはり難し過ぎたのだろう。そのままになっているものがいくつかあった。引用するためには、いちいち了解を得る必要がある。それは面倒だった。
 ただし、アメリカの某ホームページにある画像データについては、昨日、無料で使わせてくれないか、と問い合わせメールを送った。すぐに自動の返信(問い合わせ感謝の内容)が来たので、週明けになれば正式に回答が来るだろう。
 アメリカの画像は例外で、多くの図表を、あらためて自力で何とかしなければならなくなってしまったのだ。それで、一つ一つ考えて作成しながら校正をやっていたら、8日着で返送するという約束はほとんど守れない状況になってしまった。
 ついに、画像は後回しにして、先ず、本文の校正を先に済ませることにした。

4月7日(月)「気の遠くなる図表作成作業・・・の風さん」
 初校ゲラの校正、本文のみが終了し、ベッドに倒れ込んだのが今朝の4時ころだった。
 9時半過ぎに起き出して、朝食前にレターパックを郵便局へ持って行った。
 窓口で、料金が変わったか(消費税が5から8%に増えたので)確認すると、10円要求された。
 以前購入した350円のレターパックに10円切手が貼られた。
 投函完了は、午前11時だった。
 安心して自宅へ戻る途中、買い物に寄った店で、ミニコロコロの交換用粘着紙ロールを発見した。
 本体は大昔に広島県の100円ショップで購入したものだが、交換用粘着紙ロールを見つけきれないでいたのだ。帰宅して、装填してみると、ドンピシャリ一致した。うれしかった。
 軽く食事してから、いよいよ図表作成作業に着手した。
 元々36枚の図表を原稿に挿入してあったので、あらためて自分で改良するとなると、まずその分量の多さで気持ちが暗くなる。それを必死に自分で自分の気持ちを鼓舞していくのである。
 そして、何とか作業を継続するのだが、1枚の図表を自分で最初から作成すると、だいたい2時間くらいかかる。1枚できたところで、休憩が必要である。そんな調子で、はたして全部やり通せるだろうか。計算してみるときっと知りたくもない答えが出るに違いない。だから、計算もせずに、自分のペースで進めていった。

4月8日(火)「人生最後の送別会かも・・・の風さん」
 今朝の5時まで頑張って図表作成作業を続けたが、あと3枚を残してダウン。
 今日も9時半過ぎに幽鬼のごとく起き出して、急いで朝食を摂った後、作業を再開した。
 ちょうどお昼(正午)ごろに終わったので、メールにつけて送信した。
 激しく疲れた。眠い。頭痛もするし、耳鳴りもする(心音が聞こえる)。とりあえず頭痛薬を飲んだ。
 今夜は職場の送別会(実際は3人の合同歓送迎会)である。
 体調は不良だが気候は良好なので、徒歩で最寄りの駅まで行った。犬の散歩をしている女性がいた。
 名古屋駅コンコースで写真を撮る必要があった(図表作成の一環)。夕方の通勤・通学時間帯だったので、非常に混雑していた中、40枚くらいデジカメで撮影した。これくらい撮れば、1枚くらい良いのが見つかるだろう。
 JRに乗ってデンソー本社のある刈谷へ向かった。予定通り特別快速に乗車できたので、二駅19分で着く。
 会場に入る前に、本社ギャラリーに寄って、会社のパンフレットをたくさん入手した。明後日の愛工大での非常勤講義で紹介するためだ。
 3人合同の歓送迎会で比較的気持ちが楽だった。会場の中華料理はなかなか美味しいので、今夜は紹興酒の燗したやつを頼んで、気持ち良く酩酊させてもらった。
 最後の挨拶では、ひと言3部作のシメとして、1部は「こちらこそありがとうございました」、2部は「期待に応えられず申し訳ありませんでした」だったが、今夜は「これから精一杯がんばります」と結んだ。
 JRと名鉄を乗り継いで(乗り越しの危険をかろうじて回避して)、最寄りの駅の改札を通ると、マナカの残額が30円になっていた。学生定期券をもっていたときは、1回に5千円チャージしておけば、けっこう仕えたが、消費税も上がった現在、もちろん定期券もなく、名古屋へ2回も行けば(地下鉄にも乗るとして)5千円は消えてしまう。これからは1万円ずつチャージするしかない。

4月9日(水)「Xpの最後の更新に取り組む・・・の風さん」
 アクアにガソリンが入っていないこともあって、私が提案し、キャメロンでワイフと外出した。
 JAでお金をおろし、銀行でそれを振り込み(その間に私は自分の口座からなけなしの現金を引き出し)、あちこちで桜が満開の道路を走って、ランチに行った。以前1度だけ行ったことのある常滑のレストランで、ワイフが指定した。
 ランチメニューは1種類しかない。小さなレストランが統一メニューで出すのは、ビジネス戦略的に優れていて、その日のお勧め素材で料理したものを割安で食べられる。大規模レストランではとれない戦略である。一種のイノベーションのジレンマである(大規模レストランはフルラインナップが期待されているのだ)。
 予定してなかったランチだったので、ワイフは大喜びだった。
 それから私のお勧めのスーパーで買い物をし(私は安い食材ばかりを選んだ)、帰宅した。
 昨日の疲労もあって、夕方昼寝した(笑)。その間に、STAP論文の小保方さんが記者会見を2時間半もやっていた。彼女の精神力はすごいと思った。いずれにせよ、STAP細胞が本当に存在したかどうかで、すべてが再評価されることになる。結論はまだ先だ。
 晩御飯の後、WindowsXpのサポートが今日で終了になることが話題になった。我が家ではサンルームの共用パソコンと私のモバイルパソコンのOSがXpである。
 そこで、ふと気が付いた。最後の更新(アップデート)をやっておくべきだ、と。
 急いで、2台のパソコンを立ち上げて、更新に取り組んだ。
 たまに使っていたサンルームのパソコンは、更新データが8個ダウンロードできた。やれやれ。
 ところが、ほぼ1年ぶりに立ち上げたモバイルパソコンは、なんと93個もあった。
 サンルームのパソコンへのインストールは午前零時までに完了したが、私のモバイルパソコンは、午前1時過ぎでも半分もできず、結局、そのままにして就寝することになった。

4月10日(木)「今年最初の非常勤講義・・・の風さん」
 起きて早速昨夜の更新結果を確認してみると、93個中の1個を除いてインストールは完了していた。あと1個ができなかったのは、Cドライブの容量不足が原因だった。
 大きなデータを扱う翻訳ソフトをアンインストールして再トライし、無事、すべての更新が完了した。セキュリティソフトは入っているが、なるべくネット接続しないようにして、これから使用することにする。
 サンルームのパソコンは常時接続なので、資金的に余裕ができたら、買い替えるしかない。
 アメリカのサイトに申請した画像使用について返信があった。残念ながら無料ではなかった。個人判断ならリーズナブルな料金なので使用するが、今回のは事業なので、断念することになるだろう(既に予算オーバーと聞いている)。
 午後から、今年度最初の非常勤講義をするため、キャメロンで本山キャンパスへ向かった。自宅から直接向かうのは初めてかもしれない。片道約50キロ。下道を走ったので、1時間半かかった。
 最初は学生もお試し受講なので、今日は私のバックグラウンドであるデンソーの話を中心にして終えた。パンフレットを配ったし、前期の講義が終了したら、工場見学会を開催することも伝えた。
 せっかくなので、今日は、93個の更新データをインストールしたモバイルパソコンを使った。
 今日はリラックスして講義を終えてさっさと帰ろうと思っていたが、控室に戻ると、田村先生がいらっしゃってた。様子を見に来られたとのこと。亡くなられた大野先生がコインロッカーに残した論文コピーを二人でチェックしたが、私の関係のものがほとんどだった。私が作成したアブストラクトとその翻訳集を分類したものもあり、7年前のきちんとした研究着手が思い出され、大野先生の門下になれた幸せを噛みしめた。
 夜、執筆マシンのマウスをコード付きから年季の入ったワイヤレスタイプへ変更した。すぐに動作し、机上がほんの少し余裕ができた。

4月11日(金)「オープンカーで海岸を走る・・・の風さん」
 固定電話から3ヶ所へ電話して、気になる用事を終えた。
 スマホは簡単だが、電話料金が高い。会社に出ていると、いつでも電話できるわけではない。退社して、こういうことは便利になったと実感した。
 お昼にラーメンを食べてから、キャメロンをオープンカーにして外出した。
 走り出してしばらくすると、ダッシュボード付近にクモが現れた。この間のやつだ。元気に動いていたが、赤かった体色が白くなっていた。飲まず食わずで色あせたのかと思うと不憫だった。この外出の間に、車外へ脱出してくれたらいいのだが。
 郵便局に行って、現金書留を出した。封筒は亡父の遺品で、郵便番号の記入枠が5つしかないやつ。
 続いて、地元で作っている塩を買いに行ったのだが、なぜか値上がりしていた。そこは浜に近いので、道路を渡ってしばらく伊勢湾を眺めて感慨にふけった。
(とうとうこうして自由に海を眺められるときがきた……)
 さらに南下して、明後日利用するレストランのあるところまで行き、周辺をチェックした。
 帰りに、名鉄の駅に寄ったのだが、間違えて別の駅に寄ったあと、正しい駅に着き、マナカカードに1万円をチャージした。私の最寄りの駅は、改札口の外にチャージする機械がないのだ。
 帰宅するまで、一度も幌はおろさなかったので、オープンカー状態だった。その間に、クモが脱出できたかどうか分からない。
 私が昼寝している間に、ワイフが一人で墓参に出かけたため、ご機嫌ななめだった。
 夜中に次女が留学計画の話をしてきた。元々賛成だったので、できるだけの協力をすることになる。
 今夜は、応募の動機を書いた英文を見てほしいというので、私なりに添削した文章を提供した。

4月12日(土)「うれしい飲み会・・・の風さん」
 どうも一進一退というか、一勤一休というか、ちょっと頑張った日の翌日は疲労で頑張れない。トレーニングを再開して体力がついてくれば改善されるのかもしれないが、挽回することが山のようにあって、まだ気持ちがトレーニングの方へ向いていかない。
 そのだらだらしている中でも、少しずつ仕事をしてくために、何度も休憩をとってはまた気を取り直して仕事をしている。その休憩のときにやっているのが、LINEゲームで、母の遺品整理のときから習慣になっている。終日自分の仕事に専念しているので、この休憩でのゲームの頻度も一気に上昇した。
 ところが、悲しいことに、過ぎたるは猶及ばざるが如しで、最初は肘、続いて手首、しまいには右の人差指が痛くなってきた。症状は子供の頃経験した突き指と同じである。LINEPOPで画面を叩き過ぎているのだ。もうアホとしか言いようがない。
 それでも、今度は中指でやっているのだから、救いがたいアホ状態である。
 夕方からまた電車で出かけた。
 三省堂で買い物をした後、高島屋でウィンドウショッピングをしたが、良いものは高い。こういった良質のものを買える日が来るのだろうか。今の私は百円ショップで吟味して買うのが分相応である。
 今夜は元の職場の有志が主催してくれた飲み会で、久しぶりに共通の話題で盛り上がった。同世代が集まっての話し合いもそれなりに意味があるのだろうが、私のような老兵を入れても、同じ話題の料理の仕方が変わって意味があるようだ。私の願いは、基本的に彼らの幸福なので、仕事の話題でも、世の中のことでも、コメントは一貫しているつもりである。
 私のような者を呼んでくれた彼らの気持ちがうれしくて、美味しいお酒になってしまい、終電に乗り遅れた。違う駅に向かう電車に乗って、そこからタクシーで帰宅したが、最後のタクシーだったので、あやうく1時間半歩くところだった。
 帰宅したら、ワイフは明日の準備の真っ最中。風呂に入ろうと思ったら、目の前で次女に先に入られ(1時間は出て来ない)万事休す。飼い猫の頭を小突いてから、ぶっ倒れるようにベッドに潜り込んだ。

4月13日(日)「豪華なランチ・・・の風さん」
 研修所勤務のときに親しくなった仲間が、ワイフのトールペインティング体験教室にまた参加してくれた。
 センスはもちろんだが、集中力や根気のいる作業である。完成度はなかなかのもので、尊敬に値する。
 今日もランチを誘って、海岸沿いのレストランへ案内した。
 手の込んだ料理を出すことで有名な店で、私も一度だけ来たことがあり、また来たいと思っていた。
 今日もすごかった。
 私は夜はお好み焼きだったが、ランチの後遺症で夜はほとんど食べなかった人もいたようだ。
 昨日の疲労が残っていたが、海岸線を突っ走って、キャメロンに給油し、DIYのショップであれこれ物色してから帰宅した。
 明後日が締め切りの原稿に着手した。

4月14日(月)「ブラウザのトラブル・・・の風さん」
 昨日から花粉症がひどく、昨夜は薬を飲んで、さらにマスクをして寝たので、今朝は普通に起床できた。
 昨日から着手した原稿は3回連載の2回目の分だったが、3回目の分の構想も寝ている間にできたので、続けてやってしまおうと思いながら執筆マシンに向かったところでトラブル。
 更新プログラムをインストールして再起動をかけたら、ブラウザが立ち上がらないのである。シャットダウンしてやり直してもダメ。エラーチェックやデフラグまでやってみたがダメ。相手はインターネットエクスプローラーである。そういえば、遠い昔にもこれと似たことがあった。あのときは、最終的に、ファイアーフォックスにしてしまった。
 今回もそうしようと思ったのだが、ファイアーフォックスのインストールの方法が思いつかない。ウェブサイトからダウンロードするためにはインターネットエクスプローラーでアクセスする必要があるのだ。ブラウザが起動しないのでは無理かもしれない。
 色々と試行錯誤したあげく、パソコンを立ち上げると同時に立ち上がるBingの検索ウィンドウにファイアーフォックスを入れてみた。そうしたら、不思議なことに、ブラウザが立ち上がった。
 そのまま手順を踏んで、実に久しぶりにファイアーフォックスを自分のものにすることができた。
 嫉妬ではないだろうが、インターネットエクスプローラーも復活した。
 そして、今回の救いの神、Bingがどこかへ消えてしまった(笑)。
 晩御飯までに、2回目、3回目の原稿が完成し、先方へ送ることができた。
 こうやって先行するようになれば、たまっている仕事の挽回も夢ではなくなる。

4月15日(火)「今日も挽回に取り組んだ・・・の風さん」
 昨日の勢いで、今日も挽回のために注力した。
 6月に出版される新鷹会アンソロジーのゲラの校正に着手した。さすがに古い原稿だったので、時代考証的な間違いもあり、今日だけでは完了しなかったが、明日残りをやれば終わるだろう。月末が締め切りだったので、先行することになる。
 26日の講演は3年目になるので、ほとんど同じでかまわない。いちおう今年のバージョンに更新しておいた。
 愛工大での前期の非常勤講師はなかなか大変だが、今日は、5回分の課題レポートを準備してしまった。明後日の講義で、学生たちにまとめて渡しておこうと思う。彼らも、講義の進捗などに合わせて、順次、取り組んで提出してくれたらいいのだ。
 今日はさらに読みかけの本を1冊読み終えた。
 明日もこの勢いで頑張りたい。

4月16日(水)「挽回途中、次のヤマ場になる・・・の風さん」
 昨日の勢いを継続するため、朝から張り切った。
 アンソロジーのゲラはちょっと手こずったが(時代考証を修正したので)、校正を終えた。いくつか送らねばならない(ちゃんとした)メール(英文含む)があったので、すべて出した。非常勤講義の準備の続きで、伝統的なシラバスに見直しをかけて、自分らしさを盛り込んだ改訂版を作った(これは明日、学生たちへ公開する)。
 突然だったが、地元からの講演依頼があった。5年前の講演を聴いて気に入ってくださった方が、別のグループに対してお願いしたいというもの。ありがたいことだ。日程も問題なかったので、もちろん了解。
 今日、ついに離職票が届いた。先月の確定申告の次のヤマ場は、失業保険の申請だが、早速ワイフと打ち合わせた。しっかり準備して、来週の前半に行こうと思う。
 次女の留学応募も着々と進んでいるようだ。

4月17日(木)「久しぶりの外出で疲労・・・の風さん」
 今朝はゴミ捨ての日だったので、意識して昨夜のうちに身の回りのゴミを袋に詰めておいて、自分で出してきた。自分自身が粗大ゴミにならないように、自分以外のゴミを積極的に捨てていかねばならない。
 ルーチンワークを終えてからキャメロンで家を出た。
 値上げ前の地元の塩を打っているスーパーに行って購入した(すみません。もう残っていません)。校正済みのゲラを宅急便で出した。
 早めに本山キャンパスに着いた。よく行く店でランチにしたが、たまっていたポイントでカツ丼が無料になった(わっはっは)。安いドーナツと郵便局で2円切手を買ってから、講師控室へ。
 約束したとおりJMAの人が来て打ち合わせをした。仕事の依頼がほとんどだったが、未熟で力不足の私としては、すべて受け入れることができなかった。しかし、今後の自分の成長の方向性と合致しているので、努力することは約束できた。
 少ない受講生を相手に楽しく講義をした。
 終わった時点でひどく疲労感をおぼえたので、小一時間、講師控室で休息してから家路についた。
 カーショップとスーパーに寄って帰宅した。既に日は沈んでいたので、キャメロンのトランクに設置したセンサーライトがしっかり作動してうれしい。来月がキャメロンの1年点検になるので、さらにバージョンアップしたい(でも、その前に納税があるか)。

4月18日(金)「疲労で失速・・・の風さん」
 再び挽回に励もうと朝から頑張ったが、昼前に失速した。原因は、昨日の疲労である。
 毎日やると決めていたことはさっさと片付けた。今日の特別取り組み事項の中で、メールや電話で済ませられることは、勢いでやってしまった。
 問題は、来週の講演準備だった。当然創造的な部分がある。ルーチンではないのだ。こういった仕事に気力と体力を使うことは頭では分かっていたが、疲労がたまっていると根性では克服できないということだ(笑)。
 ま、続きは明日、ということで……。
 しかし、油断はできない。明日の午前中にやっとテキスト原稿の第2稿が届くことになった。校正をしなければならない。同時に、別の企画も考えながら、だ。
 そして、明日は、長男と長女が帰省してくることになった。家族5人がそろうのは久しぶりである。夜は、仕事に当てられない。

4月19日(土)「心のこもったお疲れ様会・・・の風さん」
 昼までにルーチンの作業をほぼ終了し、買い物に出かけた。
 百均ショップ、ドラッグストアでまとめ買いし、郵便局のポストへ投函し、最終目的地のスーパーへ。
 今夜は家族全員で焼肉パーティだと言うので、デザートにイチゴとアイスクリームを購入した。
 帰宅してまた疲労が出てきたので、さっさと横になった。
 ちび助が不調で、吐いた後を掃除したのは、やや誤算。
 夕方からテキスト第二稿ゲラの修正に着手。
 そうこうしているうちに、だんだん家族が集結してきた。
 サンルームでクリスマス以来のファミリーパーティ。しかし、料理は焼肉。私は外でやりたいのだが、……。
 第三のビールで酔っぱらってダウン。
 目覚めて、デザートのイチゴと長女が持ってきたケーキになった。
 驚くべきことに、私自身は、今夜は私の退職を祝ってくれた子供たちへのお返しのつもりだったのに、家族全員でのあらためての退職慰労会だった。貧乏な長男までが、極上の日本酒を京都で買ってきてくれた。長女は、先日のフランス料理のレストランでのスナップでミニアルバムを作ってきてくれた。
 運ばれてきたイチゴのタルトを見て、ビックリ。
 34年間お疲れ様でしたのチョコレート文字の中の「4」が「千」になっている。
 3千年間お疲れ様でした。

4月20日(日)「宴の翌日は肌寒い小雨・・・の風さん」
 朝から小雨がぱらつく曇り空。焼肉パーティをしたサンルームの換気が十分にできず、残っている匂いに耐えられない。朝から3人の子供らが次々に朝風呂。
 昨夜のパーティの写真を印刷し、ルーチンワークをした後、ゲラの校正の続きをした。
 長女から雇用保険給付の先輩としてアドバイスを受けた。認定日(4週間に1回)に行くことを考慮して、22日(火)に手続きに行くことに決めた。
 友人の結婚披露宴の2次会に合流しそのまま京都へ帰る長男を駅まで送った後、雨の中、ワイフと長女の3人で人気の喫茶店へ行ったが満席で断念。近所のケーキ屋へ行って普通にケーキセット。肌寒い。
 帰宅してまたゲラの校正の続き。けっこう時間がかかる。
 夕食後、長女を名古屋までワイフのアクアで送った。行きは38分で着いた。
 就寝前にまたゲラの校正をしたが、終わらなかった。

4月21日(月)「本当に無職?・・・の風さん」
 無職になってから、日曜も平日も関係なく作家業中心に取り組んできたが、まだ自分のペースになれない。たまっている仕事の挽回と、これから予定している仕事の早期準備完了。これら二つが達成できたときが、自分のペースになったことになる。
 今日も身辺整理を含めたルーチンワークを終えて、ゲラの校正の続きに取り組んだ。
 しかし、週末の講演の準備もあるし、明日はあちこち出かけなければならない。
 そうこうしているうちに深夜になってしまった。
 最低限やらねばならないゲラチェックを終えて就寝したのは、午前3時半だった。ワイフも同時刻。

4月22日(火)「ネズミ取りと白バイ・・・の風さん」
 今週末へ向かって非常に忙しくなってきた。会社に勤めているときは、どのように雑多に思われる仕事でも、会社の機能としては必要なことが多く、ひたすら前向きに取り組んで来た。一方、作家業と言いながら、これまでやってきたことは、雑多ではなく、良くいえば先行投資、せいぜいが趣味、悪く言えば無駄なことが多かった。だから、ちっとも儲からなかったのだ(ひたすら持ち出しばかり)。
 しかし、これからは、それではいけない。作家は会社ではない。個人の仕事である。無駄を徹底的に省かないと、儲かるはずはない。……ところが、分かっていても、それができない。
 睡眠不足だったが、頑張って起きて、朝食前に、校正済みゲラを宅急便で出してきた。明日の午前中に届くように処置できた。
 朝食後、キャメロンで出かけた。
 以前は、平日のしかも日中に近所を車で走ることはまれだった。それが、これからはそういう機会が多くなる。当然だ。今日は、あるルートを走っていたら、ネズミ取りをやっていた。そこで遭遇したのは初めてだった。記憶しておかなければならない。
 昼前にハローワークに着いた。昨年、教育訓練給付の手続きに来ているので、初めてではない。しかし、あのときと違って混雑していた。長女のアドバイスはありがたかったが、驚いたのは、昨年の手続きの記録がちゃんと残っていて、それが手続きをスムーズにさせたことだった。
 続けて、法務局に向かった。やっと抵当権抹消手続き完了の資料を受け取ることができた。1ヶ月前から受け取り可能だったのだが、来ている余裕がなかったのだ。隣接する小学校から合唱の声が聞こえてきて、心がなごんだ。ここの自動販売機のコーヒーは安く、思わず買ってしまった(90円)。貧乏人の習性だろう。
 帰りも同じコースを走ったのだが、ネズミ取りは既に終了していて、別のポイントで、白バイが潜んでいた。信号無視をつかまえるためである。良いことだ。
 最後に、地元の図書館に寄り、5月から始まる岩倉市生涯学習センターの講座案内パンフレットを関係者に渡してきた。あとでフェイスブックでも宣伝しようと思った。
 帰宅して遅い昼食を摂った。インスタントラーメン1杯。やはり貧乏人にふさわしい。

4月23日(水)「日本の電力事情・・・の風さん」
 久しぶりに朝から青空が広がった。
 こういうときは、さあやるぞ、と朝からスパートできるはずだが、何となくパワーが出ない。情けないが昨日の疲労が残っている。1勤1休の体力しかない。明日から行事が連続するのに、これでいいのか。来週は何が何でも筋トレを再開しなければ、と思う。
 私のせいではないが、ちび助も不調である。だんだん食欲が落ちてきて、今日は水も飲まなくなってしまった。サンルームに胃液を吐いた後があった。治らなければ、明日は動物病院か。
 午後、初めて常滑商工会議所へ行った。昨年来地元にはお世話になりっぱなしだが、まだインフラとの密着度が低い。知多半島全域が基盤になるはずだ。そういえば、某市の市会議員の中に、中学の同級生がいたな。
 明後日の講演のために、マックとプロジェクターの相性を確認した。普通には映し出されない組み合わせだった。郵便局にも寄って帰宅。
 日本の電力事情について書かれた原稿を読んだ。原発をすべてやめてしまうと、天然ガスなどの購入の交渉力に影響が出るといったバランス感覚のある内容で、同時に定量的でもある。一橋大学の先生の執筆である。今後もこの先生をマークしていこう。
 夜は、明日の講義の準備に使った。

4月24日(木)「3回目も雑談多し・・・の風さん」
 本山キャンパスに着くと、JMAからの資料が宅配で届いていた。
 先週見せてもらった本が入っていて、再度真剣に内容を確認してみたが、これと相似の本は自分には書けないと思った。執筆依頼に対する企画という形での回答の基本は、やはり自分という個性(つまり思想や経験といったもの)をベースにしたものだと思う。その上に、知識や技術やフレームワークが乗っかる形だろう。
 今日は3回目の講義だったが、先週の残りから始めた。そして、雑談を含めながら話しているうちに、今日の分として用意した内容に全く入れないうちにタイムリミットが来てしまった。
 さすが老人! 話が長い。これは肝に銘じておかねばならない(すぐ忘れるが)。
 来るときはゆっくり走って1時間半で着いたが、帰りは道路が混んでいた。それで少しスピードを出したのだが、自宅まで1時間40分かかった。

4月25日(金)「地元の業界人と交流・・・の風さん」
 次女を駅まで送るついでに、今日の講演会場まで荷物を届けに行った。それからキャメロンに給油し(今回はリッター12km以上走っていた)、家電量販店まで足を伸ばしてPC用スピーカを購入してきた(500円引き)。
 今日の講演スライドの最後の仕上げをした。何度も何度も手を入れながら、ようやくまとまりのある構成になった。
 昼食にラーメンを1杯食べて、自前の名刺作りに挑んだ。元々、PCで作るための名刺用紙を購入してあった。記憶はなかったが、ソフトも執筆マシンにインストール済みだった。
 今回作ろうとしたのは、愛工大非常勤講師用の名刺である。本名で活動するときの公式名刺として、もう会社の名刺は使えないし、会社の仕事をしているわけではないので、これを代表として使うことにしたのだ。
 自分でも信じられない速さ、1時間半で表裏のある名刺40枚を作成することができた。出来も満足のいくものだった。
 今夜は地元のある業界の人たちに対し、日本のモノづくりについて講演した。
 内容は奥が深いものなので、懇親会の場を利用して、聴講者の方たちと交流した。それで、やっと議論の入り口付近に立てたかな、といった感じである。
 それほど飲んだわけではないが、酔いが回っていたので、帰宅し、入浴してすぐ寝た。

4月26日(土)「3年目のキャリアデザイン・・・の風さん」
 6時起床。7時過ぎの電車に乗るため、バタバタと朝の決まった行動。テキパキ。
 今日も快晴。頑張ろう。
 スーツに着替えて、いざ出陣……と、家を出て数十メートル歩いたところで、驚愕の事実を発見!
 上着は問題なかったが、ズボンが冬のスーツのものだった(>_<)。
 大ボケ老人は急きょ「回れ右!」。
 それでも、最寄りの駅で電車が来るまで3分の待ち時間があったから、早起きしてよかった。
 しかし、目的の愛知淑徳大学に着くまで、名鉄、地下鉄、市バスすべて居眠り状態だった。
 3年連続のキャリアデザイン講義である。今年は男子学生の比率が増している。それと、何となく元気があって、そりゃ若いから当然なのだが、皆、輝いて見える。おっと、自分が年取っただけか(笑)。
 例年通り、途中でクイズをやって正解の生徒に拙著をプレゼント。ただし、今年はデンソーのパンフレットも宣伝のため渡した。さて、役に立つやら。特別に設けた質疑応答時間が終わった後も声をかけてくる子がいて、うれしかった。日本の将来は任せたよ。
 お弁当を食べて、午後の講義も拝聴した。自分と違った会社、違った人生を歩んで来た人の話は勉強になる。
 午後の質疑応答時間の前に家路に着いた。
 駅の近くのコンビニで100円のコーヒーを飲んだ。初めて。缶コーヒーよりずっと美味しい。
 それほど歩いたわけではないが、足が痛くなった1日だった。

4月27日(日)「シャガール展に圧倒された・・・の風さん」
 ワイフの知人の関係で、劇団ひまわりの公演を鑑賞した。
 予備知識、先入観はほぼゼロ。
 宝塚のように楽しむことができた。飛鳥物語ということで、題材は日本史。今の時代、このような題材を扱ってくれるというのは嬉しいことだ。歴史や日本語の点で気になることがいくつかあったが、一般の人には影響ないだろう。それよりも、多くの女性たちによって作られた作品ということで、今回の公演には女性を強く感じた。歴史の解釈やテーマも女性ならではの視点だと思った。そして、時代が変わっても、変わらずに繰り返されている歴史、とくに戦争だが、について、世界の主要国のトップ(大統領、首相、国王)の過半数が女性になってもらいたいと強く思った。それが世界平和への早道のように思ったからだ。日本でいえば、浅田真央ちゃんのような国際的に知名度もある女性が、これからキャリアを積んで、日本の首相になったならば、世界平和へ貢献できる日本になれるのではないか。
 なお、劇団員の演技については、やはり年長者ほど上達していることと、子供でも花のある子がいるのには感心した。今回の公演は規模の大きなお稽古ごとの発表会であろう。平和と生活水準の高さのありがたさである。
 公演を鑑賞した後、シャガール展を観に行った。
 シャガールは私の最も好きな画家である。どんなにささやかな展示会でも感動するが、今回の展覧会には圧倒された。ゴブラン織りの巨大なタピストリー、天井画やステンドグラス、陶板画、ブロンズ像まで広範囲の作品群で、表現方法を変えて、シャガールの魅力を堪能することができた。
 図録を購入して帰ってきたのは言うまでもない。

4月28日(月)「4月の最後のヤマ場を乗り越えた・・・の風さん」
 長年勤めた会社は既にゴールデンウィークに入っていた。会社員時代から、1年365日24時間、会社の仕事と作家の仕事に全力をあげていたので、休日も連休も、お盆も正月も関係なかった。会社員を辞めて、いよいよ作家生活に軸足を置けるようになると思っていたのに、現実は私の浅はかさをあざ笑う状態で展開している。
 7時に起床し、ルーチンの仕事を少ししてから、電車で名古屋へ向かった。
 午前中は、JMA中部オフィスで、大阪事務所とつないで電話会議をした。まるで現役の会社員だが(笑)、懸案事項が次々に解決していった。もっとも私の6月の講演内容が明確になったわけで、多忙さが解消するわけではない。ただし、この会議の結果を著作に生かそうと思っている。
 昼食後は工場長テキスト制作委員会だった。11人で議論するのに十分な話題があり、すべての問題が解決したわけではないが、前進したと思う。仕掛け人の磯野さんの想いがここまで引っ張ってくれたのであって、磯野さん異動後は、皆で盛り立てていかねばならない。しかし、新たに噴出した問題は、理解なきトップの容喙(ようかい)である(わざと難しい単語を使った)。
 夕方まで続いた委員会が終わった後、南山誠林さんと会食しながら、さまざまな話をしたが、効率の悪い私の仕事ぶりに対する温かいアドバイスに、何が何でも応えなければならないと思った。とにかく、多くの方たちの私への期待は、作家として良い仕事をすることなのだ。
 最後はウーロン茶を飲んだので、泥酔することなく(笑)帰宅した。

4月29日(火)「私も休日か・・・の風さん」
 4月29日は、かつて天皇誕生日からみどりの日(のちに5月4日へ移動)になって、今は昭和の日。連休を作り出すきっかけにしている点は、古き貧しき時代の名残りか。
 世界中が経済的に豊かになっている、なんてことはあるのだろうか。相対的な差があって初めて貧富の差が生じているとしたら、経済的な豊かさを求めることは、心が痛い。
 100年前、1000年前と比較して、どうなのだろう。たとえ物資が乏しくても、極端な話、戦争の真っただ中にあったとしても、そこに経済的な豊かさが現代ほどなかったとしても、幸せが全くなかったとは言えない。そして、現代は昔よりも幸せが相対的に増えているということなのだろうか。
 1勤1休のサイクルから言えば、今日は休養。無理はできない。たまたま終日雨の予報でもある。
 昨日の活動の結果、今後の仕事が増えた。ルーチンワークの後、スケジュールを確認してみた。確かに忙しくなっている。南山誠林さんのアドバイスにしたがって、作家としての活動時間を最優先に考えて行動していかなければならない。
 昼食後、午睡もとった。
 今年は充電にも心がけているので、夕方から読書タイムにした。気楽に読めるはずのミステリー小説である。登場人物が多くて戸惑ったのは、私のボケのせいもあったろう。しかし、ストーリー展開など学ぶことの多い本だった。今年16冊目の読了となった。

4月30日(水)「幸福な時間・・・の風さん」
 昨日の雨が途中で上がったので、ワイフと銀行経由で墓参に行った。周囲を見渡すと、ちゃんと供花が新しくなっているお墓も多い。ほぼ毎日、自宅の仏壇に線香を上げ、月に1度は墓参りに来る。こんな生活がこんなに早くやってくるとは想像もしていなかった。
 帰宅し、今度は電車で名古屋へ向かった。
 うまい具合に休みがとれた長女と合流し、デパートでショッピングをし、それほど高価ではないフランス料理のレストランで、賑やかにディナーを食べた。子供たちそれぞれが自分の生活に追われるようになると、なかなか両親と遊んでいるわけには行かなくなる。そうなる日は決して遠くはないだろう。料理よりも、そんなことを思いながら、今日の幸福を味わっていた。
 長女から結婚記念日のお祝いだと言って、今朝焼いたマフィンをプレゼントされた。長女はプロなので、最高の味に違いない。
 飲まなかった私は、帰宅した後、バイトから帰ってきた次女を最寄りの駅まで迎えに行った。

2014年5月はここ

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